僕の中のドロドロを、あなたのために。
お皿を洗っていたら
みじめな気持ちになって昔を思い出した。
そして、僕の方向性が決まった。
今日はそんなお話を書いていきます。
先に「僕の方向性が決まった」結論から言うと、僕の「アーティスト(&エンターテイナー)」としてのあり方が定まった、というお話です。
僕が目指すものを例えるなら、
“朝日”のようなアーティスト(&エンターテイナー)。
(番外編に「月」のアーティストについて載せてます)
昼間の太陽ほどギラギラしてないけど、少し明るくてあなたを優しく温かく包み込む。そして「1人じゃないよ」って、「大丈夫だよ」って、そばに寄り添う。前にも横にもいてくれるような存在に、僕はなります。
歌やエンタメを届けたい、もしくは一緒につくりたい人は、「患者さん」はもちろん「今悩んでいる人」「生きづらさを感じている人」「人生の意味や将来の夢を探している人」「日々をつまらないと感じている人」のような人だなぁと、今回の件で実感しました。
ではここからは、なぜお皿を洗っていたらそう思うに至ったのか、述べていきます。
-もくじ-
<みじめな今日と、みじめだったあの頃>
ことが起こったのは、4月30日。
いわゆる平成最後の日です。
僕はこのGW期間を、和歌山のグランピング施設でバイトをして過ごすことにしていたので、その日も朝からバイトをしていました☺️
朝はレストランのお手伝いをしているのですが、僕は新入りなのでよくお皿を洗っています。
永遠に考えごとをしているので、むしろ単純作業はありがたいなぁと思いながら仕事に励んでいました。
しかし。
僕が1人でひたすら洗いものをしている中、ホールで接客をしている2人のスタッフの方が、楽しそうにお話をしていたんです。
それを見た僕は、とってもみじめな気持ちになりました。
いえ、正確には、みじめな気持ちを「思い出し」ました。
誤解のないよう先に言っておくと、僕は「俺も頑張ってんだから、お前らも苦労しろよ」といった考えは全く持っていません。
休める時に休みながら、かつ楽しくやるのが1番なので、お話をしていることは全然いいんです!
ポイントは、「思い出した」ということ。
「僕が“1人”でいて、他の人が楽しそうにお話している」“状況”が、前にもあったなぁと頭をよぎりました。
以前、自分の過去をブログに書きましたが( http://tokkynablog.hatenadiary.com/entry/2018/04/18/%E3%81%BF%E3%82%93%E3%81%AA%E3%81%AB%E7%9F%A5%E3%81%A3%E3%81%A6%E6%AC%B2%E3%81%97%E3%81%84%E3%80%81%EF%BD%A2%E3%81%A8%E3%81%8D%E3%81%A4%E3%82%86%E3%81%86%E3%81%8D%EF%BD%A3%E3%81%AE%E3%81%93 )、昔の僕は「ありのままの自分」を周りに見せることがすごく怖くて、うまくコミュニケーションが取れない人間でした。(人・場所・状況によりますが)
そのため、周りが楽しそうに喋っているところに交じれなかった経験や、会話に入ったところで僕だけ気まずい状況が時々あり、その度にみじめな気持ちになると共に、そんな自分を責めていました。
今は「ありのままの自分」でいられていて、同じような気持ちになることが少ないので、今回お皿洗いを通して生まれたこの感情が、急に過去を思い出す引き金になったんです。
俺も昔は、苦しかったんだよな。
よく頑張ったな。
そう考えながら、いつの間にか最近の自分を見つめ直していました。
<今の自分で、本当にいいの?>
もっとキラキラしなきゃ。
もっと魅力的な人間になろう。
常日頃からこう考え、自分を高めるために必要なことに日々取り組んでいます。
もともと僕は目立ちたがり屋(かつ構ってほしい人)なので、楽しいことの中心にいたいし、スポットライトを浴びていたいという欲求があります。
そのため、逆に楽しいことの中心にいない時や、みんなから注目されていない時は、かなり焦ったり、周りの人に嫉妬したり、時にはそんな自分を嫌悪することもあるんです。
きっと心のどこかで、「昔の自分に戻るんじゃないか」「ありのままの自分でいられてないんじゃないか」と焦りを感じているんだと思います。
だから、いつまでも「みんなの前で目立っているとっきー」でありたかったし、「みんなに好かれるとっきー」でいたかった。
ずっともっとキラキラしていたかった。
でも、ふと思ったんです。
僕がこのままキラキラし続けて、みんなの前に出まくることは、本当に良いことなのかなって。
有名になればなるほど、笑顔にできる人は増えていくので、このままもっと突き進むつもりではありますが、一方で「そんな僕に近づけない人」「そんな僕では出会えない人」も出てきます。
というのも、最近僕が出会う人はたいてい、なにか夢があったり、なにかに打ち込んだり努力していたり、色んな価値観をもっている人ばかりで、彼らはもちろん悩むこともあるとは思いますが、自らの行動力で解決したり、周りの人に助けてもらえる人が多い印象です。
対して、「漠然としたモヤモヤがある人」「生きづらさを抱えている人」「なんかつまらないなぁと考えている人」はどうなんだろうと考えました。
一概には言えませんが、僕の過去を振り返って述べると、僕には悩むための「選択肢」がそもそもありませんでした。
人には相談しづらいなぁと考えながら、かと言って他に取れる選択肢は「自分の中に抱え込む」「自分で何とかする」しかなかったと思います。
旅に出たりたくさんの人には出会った今では、色んな選択肢や価値観があること、1つのコミュニティでうまくいかなくても、世界のどこかには自分を受け入れてくれるコミュニティがあることなどを知っていますが、昔の僕はそもそも選択肢がなかったんです。
このように、自分の中で抱え、何とかしてきた経験を持つ僕だからこそ、同じように悩んでいる人たちのそばにいて、できることがあるのではないかと考えました。
ただ、昔の僕のように悩んでいる人が、果たして「ヒュージャックマン」さんに相談するかと言われると、さすがにキラキラしすぎて言えないですよね。
昔の僕もきっと、「いや、住んでる世界が違う、彼には俺の気持ちなんてわかんないでしょ」と思うでしょう。
(今の僕は、自分の可能性を信じまくってるので、どんな世界にでも行けると思ってます☺️)
つまり、これまでひたすらにキラキラする自分を追い求めてきたけど、キラキラしてないところ(一種の親しみやすさ)があってこそ、寄り添える場合があるよなぁ、という結論に至りました。
<これからの僕>
まとめると
僕はやっぱり、キラキラもしていたいし、同時にキラキラしてない自分でもいたい。
明るさで照らす自分もいながら
同時にそばで一緒に考える自分でもいたい。
じゃあ、そんな僕に何が出来るのか。
それは、もっと「等身大でいる」ことだと思いました。
僕の「等身大の想い」をもっと伝えていきます。心の中のドロドロした感情も全て、歌や言葉で。
例えば。
僕はフツーでいることが怖いです。
もっと面白くならないと、先に進めない気がして。
SNSでは、毎日のように、何かに尖った人やめちゃくちゃ努力している人を目にします。
そんな人たちを見て感じるのは焦りや嫉妬の感情。
時にはくじけそうにもなる。
でも、果たして本当に、フツーでいるのはいけないことなのでしょうか。
客観的に、僕の友人が同じことで悩んでいたとします。
「もっと面白くなんなきゃ。」
と焦る友人に僕が伝えるのはおそらくこうです。
「君は君らしくいればいいよ!面白くたってフツーでいたって、君が俺のそばにいてくれることが嬉しいから!!」
(もちろん何か努力することに対しては徹底的にサポートします)
このように、
「面白くなりたいけど、フツーな自分でもいいよね。だって、僕が友達だったらきっとそう思うから。」という僕の頭の中の思考を吐露していきたい。
もう1つ例をあげると
僕は「たくさんの人からの愛で満たされてる〜!!☺️」と感じる一方で、「あれ、愛がぜんぜん足りない。寂しい。」と感じる時もあり、かなり矛盾を抱えて生きています。
急に、愛に飢えて、誰かに優しくされたくなったり構ってほしくなるし、同時に「自分は果たして必要とされているのか」なんていう漠然とした不安を感じることもあるんです。
このような今も感じる僕自身の悩みや、ネガティブな感情、抱えている矛盾、そしてそれについて考えている過程すべてを、歌や言葉にして届けようと思います。
その上で、同じように悩んでいる人たちのそばにいたいし、その人たちと一緒にエンタメをつくりたいんです。
「あの時」の僕が言ってほしかったことややってほしかったことを、今度は僕がしていきたい。
僕にしか、できないことを。
僕は、“朝日”のようなアーティスト(&エンターテイナー)になります。
もっとあなたに、寄り添えるように。
<番外編①もっと自己分析してみると…>
以前、メッセンジャーのみくさんという方(語弊があるかもしれませんがめっちゃ端的に言うと、「“みえる”人」)にセッションをしていただいたことがあります。
その中で言われたのが
「とっきーは、もともと“穏やか”で“真面目”な性質があって、どっちかと言うと誰かに優しく寄り添うタイプだけど、人を笑顔にするために“エンターテイナー”という“表現”をしているのが面白い!」
ということでした。
前半の、“穏やか”“真面目”という性質は僕もすごく納得していて、中高生の時はむしろこの性格が強かったと思います。
その上で、誰かを笑顔にするために“エンターテイナー”として前に立つ選択をした、というお話がとても興味深かったんですね。
たしかに、考えてみれば
基本誰かの話を「引き出し」(聞い)ているし、
大勢で話をしている時スポットライトが当たってない人に話をまわしてみたり、
内輪ネタに入った時は率先して分からない人に説明したりしていることに気づきました。
目立ちたがり屋なくせに、結局行動の先には「誰か大事な人」がいる。
エンターテイナーというと、それこそ前に出て目立ちまくるイメージが強いですが、根本は穏やかで真面目な僕がエンターテイナーという表現型を取っているからこそ、新しいエンターテイナーの在り方(周りを目立せたり、笑顔でいられる雰囲気をつくる)が生まれているのかもしれない、と考えています。
<番外編②「月」のアーティスト、anagon>
先ほど、僕は「朝日」のようなアーティストになる、と述べました。
これには少しきっかけがあるのでお話します😌
「anagon」という僕の友人で、カッコいいミュージシャンがいるんですが、彼が以前自分のことを「例えるなら俺は月のようなアーティストだな」と言っていました。
昼間の太陽ほどギラギラしつこくなくて、そっと見守るような、ちょこっと背中を押せるような、少し先を照らせるような存在でいたい、という理由を聞いて、「うわ、それめっちゃカッコいいな…!!anagonが月やとしたら、俺は…朝日あたりやな!!朝好きやし!!」
という半分本気、半分適当に「朝日」というキーワードを思い描いていましたが、それが今回の件でよりハッキリ実感できました。
陽の光の明るさ(ポジティブ、希望で照らす)も、まだ完全に昇りきってない暗さ(ネガティブ、そばに寄り添う)も、ポジティブとネガティブが揺れ動いているような、朝焼けのグラデーションも。
僕にとっては、意外としっくり来ていた、というお話でした😉
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!!!
あなたのことを、孫の代まで大事にしたいので、ぜひ「読んだから大事にしてくれ!」とメッセージください☺️笑