僕の「ボランティア」の全て
お久しぶりです!!
勉強とかすこーし落ち着いたので、
ぼちぼち書いていこうかと!
今回は僕の、
「ボランティア」に対する考え方について
を、夏にお世話になったカンボジアの孤児院でのお話も交えながら書いていきます。
孤児院の子どもたちと!!(全員に許可は取れないので一応モザイクかけてます。)
実際に行ってみたり話を聞いてみたりしないとなかなかわからない「ボランティアの実態」を学ぶことが出来ました。
ぜひ、一緒に考えて欲しいです!!
むしろこれまでのどの投稿よりもみんなに伝えたい部分なので、読んでいただけたら嬉しいです!!
もくじ
考え方①まずは「知りたい」
これはずっと考えていたことです。
基本的に僕は、好奇心がめちゃくちゃ旺盛なので、世界中の色んなことを知りたいんです。
国どうしの文化の違いも、行きたかった場所に行ってみて自分がどう感じるのかも、日本の社会問題も、初めて食べるものの味も、たくさん知りたい。
夏休みには、カンボジアの孤児院に行き、マレーシアで難民の子供たちとのワークキャンプを行いました。
マレーシアではこんな感じ
そしてこの前、福岡県の朝倉市で災害ボランティアを行ってきました。
これら全ての活動における原動力は、「知りたい」です。
一つ前の投稿
でも書いていますが、僕は何事も知ることから始まると思っています。
ニュースとか街中とかでよく見ますよね。
服が〇着足りてないから寄付を!!
貧しい子供たちが〇人いるから募金を!!
などなど。
僕は、出来ていない人間なので、それだけでは、よし支援してあげよう!!って思えないんですよね。
誰かの役に立つなら!!ってならない。
(勝手に信憑性を感じたらしてます。笑)
まず、知りたいんです。
自分の目でみて。
どれだけの人が洋服を必要としているのか、その洋服はどのようにして必要としている人に行き渡るのか、貧しい子どもたちはまず何を求めているのか、募金で募ったお金の使い道は?!
という感じです。
前回、
「無知なボランティアは、ありがた迷惑」
とも言いました。
それにまつわるエピソードがあります。
エピソード①「服は送るだけじゃダメ」
正確には、「ダメな場合もある」ですね。
最初に少し触れましたが、僕はカンボジアで訪れたある孤児院に、大変お世話になりました。
素敵な考えを持ったオーナーさんに、僕にたくさんのことを学ばせてくれた日本人のカッコイイお兄さん、お手伝いをしている方々に、笑顔が素敵な子供たち。
オーナーさんです!バーコードで顔を隠すという、、、笑
特に、日本人のお兄さんから色々教えていただいて、その1つがこのエピソードです。
以前日本から洋服を大量に送ってくれたことがあったそうです。
物を送る時は送料がかかりますよね。
日本からカンボジアまでの送料は支払われていたそうです。
でも、カンボジアについた後、
その孤児院までの送料か、倉庫での預かり料金か、詳しいことは忘れてしまったのですが、とにかく、カンボジアに洋服がたどり着いた後に、多額の費用が必要だったそうで、その分は支払われていなかったとのこと。
カンボジアでは多くの孤児院が、自費で経営を行っているため、大きい支出になります。
ぼくもこの話を聞いた時は、大変驚きました。
こっちの都合で、ただ送ればいいやろ、なんて考えだと、むしろ迷惑がかかる場合がある、ということです。
もちろん、その行為や想いは嬉しいことだとも言われていました。
だから僕たちは、何が必要とされているかをまず知り、支援が相手の元に正確に行き渡る仕組みになっているのか確認する、といったことも必要なのではないかと考えました。
このエピソードより
「無知なボランティアは、ありがた迷惑」
になることもあるんだと知りました。
裸足で暮らすのが好きな部族に、
勝手に、「貧しいから靴がないんだ。」と認識し、その人達に靴を届けた、という話も聞いたことがあります。
これらも含めて僕は、まず「知る」ことにしています。
置かれている現状や、何が必要かを知ったあとに、活動をしていきたいんです。
実際は、「知る」に重点を起きながら、同時にやってますけどね。
僕が「ボランティアに行く」というと、少なからず、その行動が上から目線なものに感じたりする方もいるかもしれません。
また、「大学生ってボランティア行きがちだよね」って友達に言われたこともあります。
まあそれに関しては、実際に行ってから批判してよ!!って思いますし、
ボランティアと言っても、「お前らのために何かしてやるよ」という傲慢で上から目線な気持ちは、これっぽっちも持っていない、ということです。
便宜上、そう言っているだけで、自分的には正確な言葉じゃないなーと思っています。
ですので最近は学びに行くって言っています。たいてい何を?って聞かれますが。笑
僕の尊敬する日本人のお兄さんです!
とはいえ!!
募金だったり寄付だったり、そのような行為や、行っている人々はとても素敵だと思います。
僕みたいにひねくれていない人は、とりあえずやってみていいと思います。笑
ほとんどの場合、相手に届くでしょう!たぶん。
考えその②「自己満にならない」
さっそく、エピソード行きますね!
エピソードその②「写真撮って満足?」
これもお兄さんから聞きました。
以前あるボランティア団体が、その孤児院を訪れた時のこと。
ボランティア活動の1つの企画として、孤児院に住む子どもたちにインタビューをしたいと申し出があり、承諾をしました。
しかし、問題はそのインタビュー内容でした。
最初は、名前とか年齢だとかを聞いていたらしいんだけど、質問がどんどんエスカレート。
子どもたちが孤児院に住む背景まで聞き出したそうです。
彼らには色んな背景があります。
本当に親がいない子もいるし、親はいるけど、経済的に育てることが出来ず、離れ離れに暮らしている子。
そしてある父親と別れた子どもに、なんで別れることになったのか、その時の気持ちは?
と、あまり聞かれたくもないし話したくもないようなことを聞き出し、インタビューを受けていた子が泣き出しました。
そこで、もう我慢出来なかったお兄さんが、そのボランティア団体に帰ってもらった、とのことでした。
どうですか?
僕自身、この話を聞いてすごく驚いたのと、悔しさというか怒りというか、、いろんな感情が心の中をぐるぐるしていました。
僕が怒りを感じるのはおかしいかもしれませんが、でも、普通に考えてそんなこと聞かないですよね。
ボランティアの人達は、純粋に、知りたかっただけなのかもしれませんし、撮った後日本に帰って、こんな想いをしている子どもたちに支援を!!って動画を流したかったのかもしれません。
しかし、理由がなんであれ、まず考えるべきは、目の前の相手だと思います。
自分たちの目的が第一優先になって子どもたちのことを考えきれていなかったために、このようなことが起こったのだろうと思います。
タイトルの意味とは
エピソードのタイトルは「写真撮って満足?」
としています。
僕はこのエピソードを聞いて、自己満足のボランティアは絶対にしないようにしよう、と心に強く誓いました。
1番気をつけるべきは、写真だと思いました。
僕の周りの友達も、いろんな国で子供たちと触れ合い、たくさん写真を撮っている姿を、SNSでよく見かけます。
全然悪いことじゃないですよ!
だって子どもたちほんとに可愛いんだもの!!
笑顔が弾けているんです。
必ずしも、「貧しい=不幸せ」じゃないんだなって思わせてくれます。
一緒にカメラの方見て笑ってる瞬間が嬉しいんです。
むしろこっちの方がボランティア(おもてなし)されてるんです。
僕も撮ってます。笑
子どもたち、SNOWが好きらしいです。可愛い〜!!(ぼかしてますが)
だから、写真を撮ることは悪いことじゃなくて、それが目的化したり、帰国したあとに可愛かったなーたのしかったなーだけで終わるのは嫌だなーって思うんですよね。
あくまでも、僕の考えですよ!
だから、ボランティア、というか学びに来ている以上、自己満足で終わることなく、吸収出来るものは全部吸収して、今後に繋げたいと思っています。
マレーシアでも、朝倉でも、暇を見つけてお話を聞いたり、観察したりして、学ぶ姿勢は常に持っていました。
隣は僕の仲良しです☺️後ろに写りこんでる子たちも可愛い。
最後に
長くなったのでこの辺にしておきます!笑
まあ、だいたいこの2つの考えは常に意識しています。
というか、無意識のうちに行動しています。
その孤児院の子どもたちとは今でもSNSで繋がっています。
いいねとかしてくれた時は、僕の投稿見てくれてるんだなあって嬉しく感じますし、たまにメッセージもくれてもっと嬉しい。
今カンボジアで行きたい場所No.1です。
会いたい人達No.1です。
ヘナタトゥー書いてくれました!うますぎる!!それぞれに得意なことがあるんです。
他にもたくさん伝えたいことがあるんですが、もっと長くなっちゃうので、最後に、僕のお世話になった、尊敬するお兄さんからのメッセージを載せますね。
すごく感動したので。
今回も長々とすみません。
読んで下さり、ありがとうございました!!!
あ、カンボジアのオススメもあります☺️